「まだ当分は動きそうにないな……」
後部座席から見える車外の景色に、短く息をついた。この通りは夕方になるといつも渋滞するが、今日は一段とひどい。朝から雪が降り続いているせいだろう。
「すみません、この先でスリップ事故があったみたいで……」
運転席のジルがこちらを振り返る。渋滞にはまったことで、私の不興を買ったとでも思ったのだろうか。その表情も声もひどく申し訳なさそうなものだった。
「別にいい」
ラッシュ時に混み合うハイウェイの光景など、本国にいた頃から見慣れたものだ。短気な運転手たちが時折クラクションを鳴り響かせているが、苛立って怒鳴り散らしたところで車が前に進むわけでもない。時間が解消するのだから、大人しく待てばいいだけだろう。
どこかほっとしたような面持ちでジルが前を向く。私も再び窓の外に目をやった。渋滞の車に埋め尽くされた車道の両脇には、クリスマスのイルミネーションに彩られたショッピング街が広がっている。人々は雪にコートや髪を濡らしながらも、どこか楽しげに行き交っていた。皆、数日後に迫ったクリスマスを楽しみにしているだろう。大切な誰かと過ごす時間を、思い思いに描いているのかもしれない。
それはごく当たり前の光景で、こうして車の中から見つめている私になんら感傷をもたらすようなものではなかった。ただ私が、彼らと同じ目線でクリスマスという日を見ることができなくなった。それだけの話だ。
「あ、少し動きました」
ジルのそんな声がして、車がのろのろと前進する。だが進んだのはほんの僅かで、歩いても数歩程度の距離しか稼げていないだろう。
「……すみません」
再び、ジルが申し訳なさそうにこちらを見る。
「だから別にいいと言っている」
同じ言葉を繰り返すのが面倒になって、運転席と後部座席の間にスモークをかける。自然と私の目線は、また窓の外へと向いていた。そこには進んだ僅かな距離の分だけ、先程とは異なる景色が広がっている。
私が目をとめたのは、ジュエリーショップだった。中では腕を組んだ恋人たちが、笑顔で言葉を交わしている。きっとクリスマスプレゼントを選んでいるのだろう。
ふと、日本にいる彼女の姿が脳裏をよぎった。この国と違って今の霞朝に雪は降っていないだろうが、あの街もクリスマス一色に染められているはずだ。
「クリスマスプレゼント、か……」
口にした途端、私の視線は右手の中指へと落ちていた。古いシルバーリングが、鈍い光を放っている。
「……アクセサリーは、ないな」
指輪に触れながら、知らず知らず苦笑をもらしていた。感傷などないと思っていたが、案外そうでもなかったらしい。
「ジル、少し出て来る」
スモークを解除して一方的に告げると、私は車の外に出た。渋滞の列を横切って、ショッピング街へ入る。あてがあるわけではない。ただ直感だけを頼りに人混みをすり抜ける。
そしてたどり着いたのは、小さなフラワーショップだった。雪を避けるように並べられた花々が、仄かに甘い香りを漂わせている。
「……我ながら、ずいぶんとベタなものを選んだな」
自嘲気味に呟いて店内に足を踏み入れると、初老の店主が顔を出した。
「花束を」
短く要件を伝えると、店主は恋人へのクリスマスプレゼントかと聞いてきた。
「いいや。彼女は――」
言いかけて言葉を止めた。改めて考えると、彼女の存在は私にとってなんであろうか。
日本で彼女と過ごした数ヶ月間、彼女は私の愛人として振舞っていたが、それはあくまで仮初めの関係でしかなかった。少なくとも恋人ではない。だが友人でもなければ、家族でもない。言い表す言葉見つけられないほど、私と彼女の関係はあやふやなものなのだと今初めて気づいた。
黙り込んだ私を見かねたのか、店主はそれ以上何も言わず花束にする花の種類を聞いてきた。特別花に詳しいわけでもなかったが、彼女に似合いそうな花を選んでいく。そうしてできあがった大きな花束は、今日の街並みのように真っ白なものだった。
「ふっ……」
その花束を抱えた彼女を想像して、勝手に笑みがこぼれた。過酷な環境でも折れることなく、凛と咲き続ける真冬の花。どれだけ黒く染めようとしても、決して染めることのできない純白。いっそ憎らしいほどに、似合いすぎている。
「これでいい。ここに届けてくれ」
送り先をメモした紙と共に、多めの代金を店主に手渡す。そうして足早に店を出ようとすると、慌てた様子で呼び止められた。
「まだ何かあるのか?」
怪訝な顔で振り返ると、メッセージカードに書く内容と贈り主の名前をたずねられた。だから一言、こう答える。
「何も書かなくていい。名前もいらない」
私よりさらに怪訝な顔をした店主に背を向けて、今度こそ店を出る。
数日後のクリスマスの朝、彼女の元にあの花束が届くだろう。白紙のメッセージカードと共に。賢い彼女のことだ。すぐに私からだと気づくはずだ。
「受け取った君は、果たして何を思うのだろうな」
彼女とはいずれまた必ず相見えることになるだろう。これは確信だ。だから答え合わせを急ぐ必要はない。
「メリークリスマス、麻薬取締官」

~fin~