まだ夜が明けきらない仄暗い部屋の中でふと目を覚ましたオレは、ベッドの上で気怠い身体を起こした。そして額に手をやる。
 開きっぱなしのベッドルームのドア。そこらじゅうに無造作に脱ぎ散らかされた服と下着。極めつけは、オレの隣でシーツに包まっている裸のアンタ。何があったかなんて、寝起きのボヤけた頭でも理解できる。
「あー……やっちまった……」
 昨夜、仕事終わりにアンタの方からオレの部屋に来たいと言われた。断る理由なんてあるはずもなく、デリカテッセンで買ってきた料理をつまみながら、アンタが用意してくれたワインを飲んだ。しかもオレ好みの上物を4本もだ。
 ワインのことはよくわからないなんて言っていたから、わざわざオレのために勉強でもしたんだろう。聞いたところで素直に認めることはありえないから、心の内でその可愛すぎる努力に感謝しつつ、ありがたくいただいた。
 全てのボトルが空くまで、さほど時間がかからなかった自覚はある。昨夜のオレは上機嫌だったから、いつもより飲むペースが早かった。その結果がこれだ。
 3本目までの記憶はしっかりある。テーブルで向かい合ったアンタと、行儀良くワイングラスから飲んでいた。
 4本目のコルクを抜いたタイミングで、確か二人でソファーに移動した。アンタにだいぶ酔いが回ってきたこともあって、くつろぎながら飲もうってことになったはずだ。記憶が若干怪しくなっているのは、その後からだった。
 4本目の途中から、オレ達はグラスを使うことを放棄した。ボトルから直接ワインを口に含んでキスで分け合い、口端から溢れた雫を舌で舐めとってまたボトルに口をつける。
 そんなことを繰り返していれば色々と熱くなるわけで、オレ達は当たり前のようにソファーに倒れ込んだ。先に押し倒したのがオレなのか、アンタなのか、それとも同時だったかは定かじゃない。
 ただ唇と舌が痺れるほどの馬鹿みたいに激しいキスを長いこと繰り返して、前戯もそこそこ服も脱がずにそのままソファーで身体を繋げあった。そこからの記憶は断片的だ。
 いつ移動したのかもわからないが、ベッドでは好き勝手にアンタを貪った。「待って」と何度も繰り返すアンタを組み敷いて、引きずり戻して、貫いて――。
「……いや、相当激しかったよな」
 生々しすぎるその痕跡を、今さら見つけて苦笑いだ。キスマークと歯形だらけのアンタの肌。床やシーツの上に散らばったスキンの空袋とティッシュの山。念のためヘッドボードを確認してみると、未開封だったはずのスキンの箱が、空になって鎮座している。
「いや、マジか……オレ……」
 あの胸糞悪いドラッグを飲んじまった時以来の暴走ぶりだ。これはアンタが目覚めるまでに、ご機嫌取りの方法を本気で考えなきゃいけないかもしれない。
 だが、オレに頭を抱える猶予は与えられなかった。数度身じろいで、アンタがまぶたを開く。聞かなくたってわかる。オレを映したアンタの両目は完全に拗ねている時のそれだった。
「あー……おはよう?」
 なんで疑問系になっているのか自分で自分に突っ込みを入れるべきなのかもしれないが、今はそれどころじゃない。
「悪ぃ……その、少しばかり無茶しすぎたっていうか……あっ、おい!」
 言い終えないうちに、アンタはくるりとオレに背を向ける。これはヤバい。完全にブチ切れコースだ。
「悪かった! オレが悪かった! 謝る! 謝るから、機嫌直せ……あ、いや、直してくれ、頼む! なっ? 頼むからこっち向……んんっ!?」
 唐突に、柔らかい感触で黙らせられた。気づけば後頭部を掴まれて、アンタにキスされている。何がどうなってるんだと目を丸くしているうちに、アンタは唇を離して笑った。「Happy Birthday, my angel」と囁いて。
「あ……」
 ショートした思考回路が、一瞬の間のあと動き出す。
「オレの……誕生日?」
 笑いながらアンタが頷く。言われてみればそうだ。9月29日。今日はオレが生まれた日だ。
 正直、完全に忘れていた。そもそも、誕生日を祝われる感覚なんて何年も味わっていない。覚えているのはせいぜい、軍人時代のチームメンバーから寝起きに食らったラバーチキンの喧しすぎる大合唱くらいだ。
「じゃあ、もしかして昨夜のワインは……プレゼントだったのか?」
 アンタから返ってきたのは肯定。オレは再び額に手をやった。そうとわかっていたら、もっと大事に飲んだのに、と。
「……ありがとな」
 こういう時にどんな顔をすればいいのかなんて、よくわからない。ただ自然と顔が緩んでで、アンタを抱きしめていた。
 思い入れも何も無かった1年のうちのただの1日が、特別なものに感じられたのは初めてだ。
「Happy Birthday, my angel……か。ふっ……」
 オレは目を細めた。
「なんでもねーよ」
 笑った理由を問う唇を、そっと塞ぐ。
 天使はアンタの方だろ。そんな言葉を飲み込んで――。

〜 fin 〜