ずっしりとした重量感に目を開くと、膝の間で丸まって眠る黒猫の姿が映った。一体いつからそこで寝ていたのか、ふくらはぎの辺りが微かに痺れている。
「……重い」
 俺のぼやきに黒猫――ボルはぴくりと耳を動かしたが、反応はそれだけだ。軽く足首を動かしてみても起きる気配はない。どうやらどくつもりは無いようだ。
「どちらにしろ動けねえか、これじゃ」
 ふてぶてしい飼い猫はそのままにして、隣に目をやる。
 そこでは俺の胸に抱き着いたお前が、気持ちよさそうに寝息を立てていた。裸のまま毛布に包まっているせいで、首筋から胸元にかけて散ったいくつもの赤い痕が朝日の中で妙に生々しく浮かび上がる。昨夜年甲斐もなく盛り上がった勢いで、俺がつけたものだった。気恥ずかしさを覚えるほど若くはないが、「やっちまった」という気持ちはある。
「絶対、怒るな」
 仕事用のスーツを着ればシャツの襟でギリギリ隠れるだろうが、肌と布地の間に少しでも隙間ができれば、簡単に見えてしまいそうな微妙な位置だ。
「機嫌を直す手段、何か考えとかねぇとな……」
 俺の腕の中で無防備に眠る年下の恋人が、あとで鏡の前で真っ赤になるのは想像に難くない。
 前に一度だけ出来心でからかった時は完全にへそを曲げられて、プライベートでもよそよそしく「課長」と呼ばれた挙句、淡々とした敬語で話されるという仕返しを数日に渡って食らった。そんな仕返しすら可愛いと思ったが、言ったらさらに拗れていたことだろう。
 以来、俺はなるべくお前の肌に痕をつけないよう、気をつけていたはずだったんだが――。
「まあ、無理だな」
 つうっと撫でた首筋から、柔らかな肌の感触が伝わる。昨夜はこの肌が熱を持ち、淡く色づいていた。普段は部下として「課長」と呼ぶ唇が、上擦った甘い吐息を漏らし、擦れた高い声で俺の名を呼ぶ。「衛士さん」と。体格差がありすぎるせいで、ベッドで組み敷けばお前は俺の下に隠れてしまう。それでも必死に俺の背に縋り付いてくる様がどうしようもなく愛おしい。
 俺だけが知っている、可愛い部下の夜の姿。散らばった赤い痕の意味は、そんな無意識の優越感と独占欲が滲み出たものなのだろう。
「しょうもねぇな」
 自覚するたび、ガキみたいだと自嘲する。我ながら、どうしようもない惚れこみようだ。「末期」というのは、今の俺を指すのかもしれない。
「あの青二才と色ボケが知ったら、吹っ飛びそうだな」
 優秀な部下と元部下の二人が果たしてどんな顔をするのか、想像すると勝手に笑いがこみあげてくる。もちろん、実際にそんな事態に陥るのはごめんだが。
「ん、起きたか?」
 数度まぶたをひくつかせて、お前が目を開く。まだ寝ぼけ眼のまま「衛士さん?」と呼ばれたから、おかしくなって頬をつついた。
「なんで疑問形なんだよ?」
 笑いながら言うと、お前もはにかんだような笑みを返して俺の胸に頬を摺り寄せた。「ハッピーバースデー」と小さな声を添えて。
「……ああ、そうだったな」
 枕元のデジタル時計が、今日の日付を示している。4月2日。俺の誕生日だ。
「ありがとよ」
 ぽんぽんと頭を撫でると、お前は嬉しそうに目を細める。思わず抱き寄せようとしたが、それは他でもないお前自身の手で阻まれた。
「どうした?」
 若干の不満を込めて言うと、お前は「プレゼントがあるんです」とベッドを出ようとする。咄嗟に、お前の腕を引いた。
「きゃっ」と悲鳴を上げて、お前が俺の腕に倒れ込んでくる。大きくマットレスが弾み、俺の膝の間に陣取っていたボルがベッドの外へ放り出された。
 視界から消えたボルが実に不満そうな声を上げたが、聞こえなかったことにしてお前を抱きしめる。
 まだ状況を飲み込み切れないお前を素早く組み敷いて、頭から毛布をかぶった。その頃になってようやくお前が可愛い抵抗を試みたが、既にその気になった俺の前では手遅れだ。
「ちゃんともらうぜ? お前も、お前が用意してくれたプレゼントも」
 耳元でそう告げて、お前の唇を塞ぐ。
 もう一度聞こえたボルの声は、どこか呆れるようなものだった。

〜 fin 〜