※はじめに※
「Café Rouge et Noir」はシチュエーションCD「Rouge et Noir」シリーズのパロディ作品のため設定などがCDとは異なりますが、一部CDのネタバレ要素が含まれる場合がございます。あらかじめご了承ください。

 小雪がちらつく街を一人の男が歩いていた。ずば抜けた長身に仕立ての良いロングコートと長いストールを纏ったその姿は、クリスマスの雑踏に紛れることなく人目を引く。すれ違った異性の多くが整いすぎた彼の容貌に思わず振り返ったが、彼が歩を緩めることはない。その足がようやく止まったのは、アンティーク調の洒落たカフェの前だった。
 男――アーレン・クライヴが店のドアを開いた途端、ほぼ満席に近い「Café Rouge et Noir」の店内で女性客たちが一斉にざわめいた。このカフェにはコーヒーやケーキだけでなく店のスタッフを目当てに訪れる女性客も少なくないが、彼女たちがスタッフの私服姿を目にする機会はほとんどない。つまり思いがけず目撃したアーレンのプライベートな姿に色めき立っているのだ。
「……おい」
 彼女たちの視線をさらりと流してアーレンが店の奥へ進むと、キッチンの入り口に苦虫を噛みつぶしたような顔で周防が立っていた。
「おはよう。何かな?」
「何かなじゃねぇよ。営業時間中は裏口使えっていつも言ってんだろうが」
「ああ、すまない。忘れていたよ」
 にこやかに答えたアーレンと対照的に、周防のこめかみがヒクリと動く。
「というか今日はバータイムからのシフトだろ。クリスマスフェア最終日のくそ忙しい時間に何の用だ、副店長さんよ?」
「ちょっとした用事でね。オフィスを使わせてもらうよ」
「……好きにしろ」
 周防はまだ何か言ってやりたい様子だったが、キッチンカウンターに提供待ちの料理が並んでいるのを見て諦めたのだった。

「先にランチ入るぞ」
 アーレンがオフィスに入ってから数分後、ジルはキッチンカウンターに用意された賄いのパスタを手に取った。
「あ、ラグレーンくん、ちょっと待って。休憩前にもう一つだけお願いしたいことがあるんだけど」
「あん?」
 既にサロンを外してバックヤードに引っ込もうとしていたジルは、パスタを手にしたまま面倒くさそうに足を止める。
「これ、オフィスに持って行って」
 そう言って来栖が差し出したのは、プレートに乗った見覚えのあるケーキだった。
「これアーレンのバースデーケーキだろ? あの人、バータイムまで来ないぞ」
「今オフィスにいるんだよ。何か用事があるとかで」
「は? いつの間に?」
「キミが裏で煙草吸ってる間に」
 来栖はにっこりという表現がこの上なく似合いそうな笑みを浮かべているが、その声には明らかな棘がある。どうやら隠れて煙草を吸っていたことはお見通しらしい。
「お願いしていいかな?」
「……了解」
 ジルは「降参だ」と肩を落とすと、パスタと引き換えに来栖からケーキを受け取った。
「あと、これもね」
 忘れるところだったと、来栖はガラス瓶をジルの手に乗せる。元はジャムが入っていたその瓶の中身は、筒状に丸められた数枚のメッセージカードだ。瓶の蓋は赤と緑のリボンでセンス良く飾られている。ジルは尋ねるまでもなく、装飾を施したのが来栖だと理解した。この店でこんな器用な真似ができるのは彼しかいない。
「まさかアーレンのバースデーに、メッセージカードを書く日が来るとはな……」
 ジルが何とも言い難い笑みを浮かべる。
「キミと真壁の時みたいに、いつもならアイドルの時間にみんなでお祝いするとこなんだけどね。今日は夜までお客さんが途切れないし、かと言って閉店してからだと25日過ぎちゃうからさ」
「ま、一応クリスマスだしな」
「そうそう。……というわけで、副店長によろしくね。なんならバースデーソングでも歌ってあげて」
「いや歌わねーよ」
「冗談だよ」
 ジルの突っ込みを背中に受けて、来栖はキッチンの中へ消えて行った。

「失礼しますよ、アーレン」
 コンコンと軽いノックの後、ジルはオフィスのドアを開いた。
「どうした?」
 デスクに向かって何かをしていたアーレンが、肩越しに振り返る。
「あなたにバースデーのお届け物です」
 ジルはまずケーキのプレートをデスクに置いた。
「いつもならクルスが色々やるんですけど、今日は生憎と店があんな感じなんで、他のメンバーからのメッセージはこちらに」
 次いでケーキの隣に瓶を置く。だが、当のアーレンは微動だにしない。
「……ご所望ならバースデーソングでも歌いましょうか? 出来は保証しませんがね」
 二人の間に流れた妙な沈黙を嫌って、ジルは半ばやけくそ気味に来栖の冗談を口にした。するとアーレンが喉の奥を低く鳴らす。次の瞬間、ジルはぎょっと目を見開いた。
「っ……!?」
 アーレンが浮かべた見たことのない笑みのせいだ。彼が常日頃から浮かべる微笑とはまるで違うそれは少年のように無邪気で、ジルを困惑させるには十分すぎる破壊力を持っていた。
「……アーレン? 今の冗談、そんなに面白かったですか……?」
「いや、そういう意味ではなくてね」
 アーレンは小さく肩を揺らすと、メッセージの入った瓶にそっと触れる。
「いい店だな、ここは」
「……はあ」
 他人事のような言い方が腑に落ちず、ジルは曖昧に頷く。
「ありがとうと、皆に伝えてくれ。それと、君の歌声はまたの機会にさせてもらうよ」
「Yes ,Sir。それじゃオレはこれで」
 本当に歌う羽目にならなくて良かったと心底ホッとして、ジルはオフィスを後にした。

「……さて、そろそろだな」
 デスク上のデジタル時計が16時を過ぎた頃、アーレンは立ち上がりコートを羽織った。そして今度は裏口から店の外に出る。駐車場の端に置かれた灰皿の前には、ジルが立っていた。
「あれ、お帰りですか? アーレン」
 ちょうど煙草に火を点けようとしていたらしいジルは、火の点きが悪いのか煙草を咥えたままカチカチと何度もネジを回している。
「オイル切れか?」
「みたいです」
 ツイてないとぼやいて、ジルは制服の上から羽織ったモッズコートのポケットにライターを突っ込んだ。するとアーレンは無言のまま自らのコートに手を入れると、そこから取り出したライターでジルの咥え煙草に火を点ける。
「これで吸えるだろう?」
「……どうも」
 面食らったジルは、なんとか礼の言葉を絞り出す。
「では俺はこれで失礼するよ。次が控えているのでね」
「Yes ,Sir」
 アーレンはふっと笑みを浮かべると、コートの裾を翻らせ去って行った。
「……あの人が吸ってんの、最近見たことなかったんだけどな」
 喫煙者であることは一応知っていたものの、愛煙家のジルと比べてアーレンの喫煙頻度はさほど高くない。煙草そのものを止めたのかもしれないと思っていたくらいなので、ライターを持ち歩いていたのは意外だった。もちろん上司である彼に、今のように火を点けてもらった記憶もない。
「……ま、ただの気まぐれだな」
 アーレンとの付き合いはそれなりに長い。彼が時折、こちらが戸惑うような気まぐれを起こすことも知っていた。
「さて、戻るか」
 名残惜しむように最後に深く吸ってから、ジルは灰皿に煙草を押し付ける。そうして店に戻ろうとした時、ふとあることに気づいて足を止めた。
「……『俺』?」
 振り返ったジルの視線の先には、もう誰の姿もなかった。

 18時を過ぎた頃、駐車場の地面はうっすらと雪化粧をしていた。一度は止んだ雪が、夕方からまた降り始めたのだ。
「霞朝でこんなに雪が降るのは珍しいな」
 裏口から店に入ったアーレンは、コートを脱いで軽く雪を払い落とすと、オフィスのドアを開いた。そして、その光景に目を丸くする。
 デスクの上にケーキと瓶、そして小さなプレゼントボックスが置かれていた。ただしケーキは食べかけで、手書きのメモが添えられている。
「It was so delicious」
 アーレンはメモを手に取ると、書かれたメッセージを読み上げた。
「美味しかったよ。……じゃない、まったく」
 筆跡からメッセージを書いた人物を特定し、この状況がいかにして作り出されたのか察すると、アーレンは両眉を下げて口元を緩めた。
 そのまま椅子にかけ、スマートフォンの画面をタップし電話をかける。コール音がしばらく続いた後、電話が繋がった。
「私のバースデーケーキを半分奪った犯人は君かな?」
 悪戯っぽいアーレンの第一声に、電話相手の「彼」は笑いながら頷いた。
「悪い子だ」
 つられたようにアーレンも口角を上げると、プレゼントボックスを手に取る。
「君からのプレゼントは受け取らせてもらったよ。それと店の皆からの分もね」
 電話の向こうで「彼」が頷く。その背後から、飛行機の発着を告げるアナウンスが微かに聞こえてきた。「彼」は今、空港にいるのだろう。
「いつこっちに来たんだ?」
 今朝だと、「彼」が告げる。
「君らしいよ」
 神出鬼没な「彼」のことは、アーレンが誰より一番よく知っていた。だから咎めることはない。すると、「彼」がそろそろ飛行機に乗ると告げてきた。
「ああ、またな」
 アーレンのその言葉を最後に「彼」との通話が途切れる。スマートフォンをデスクに置くと、アーレンは穏やかに微笑んでいた。

~fin~