Ryo &Gilles HAPPY BIRTHDAY 2020

 「Café Rouge et Noir」に残されたヘビースモーカー最後のアルカディアこと、裏口駐車場の小さな喫煙所は今、二人の男によって占拠されていた。
「あー、くそ。だりぃ……」
 ややクセのある前髪をぐしゃぐしゃとかき乱しながら、ジルが店の外壁に寄りかかる。咥えた煙草に一応火は点いているが、本人の言葉通り気怠げな様子から喫煙を楽しんでいるとは言い難い。
「アンタ、よく平気だな……」
 恨みがましそうなジルの視線の先には、涼しい顔で紫煙を燻らせる真壁がいる。
「何がだ?」
「何がだじゃねぇよ。アンタも朝方まで飲んでただろ。なんで、そんなピンピンしてんだ?」
「……ああ」
 ようやく合点がいったと真壁は目を細める。
 昨夜、仕事終わりに行きつけのバーに足を運んだ真壁は、そこでジルと出くわした。それは本当にただの偶然でしかなかったが、日頃から上司の無茶振りによって理不尽な目に遭わされている者同士、酒の力も手伝って珍しく会話が弾んだ。
 その結果、二人がバーを出たのは閉店時間の午前4時だった。どちらかが相手を引き留めていたわけでもない。ごく自然にそうなってしまったのだ。
「普通1、2時間も寝れば酒なんて抜けるだろ」
 いや、絶対にそれは普通じゃない。しれっと言ってのけた真壁に、ジルは間髪入れず心の中で突っ込んだ。
 昨日はランチ上がりだった真壁が何時から飲んでいたのかわからないが、ジルがバーに入ったのは21時頃だ。少なく見積もっても6時間以上は飲み続けていたことになる。しかもジルの知る限り、真壁が飲んでいたのはほぼウィスキーだ。せいぜいロックかストレートかの違いしかない。
「……これが噂に聞く『特広の魔王』か」
「魔王……?」
「いや、こっちの話」
 ジルは適当に話を切り上げると、隠すこともなく大きなあくびをして見せた。ダレた大型犬のような姿に、真壁は呆れて嘆息する。
「次の日仕事だってわかってんなら、もっと早く帰ればよかっただろ」
「わかってたらオレだってあんな時間まで飲むかよ。今日はオフの予定だったのに、ベッドに入って10分で急遽出勤になったんだ。よりにもよって早番でな」
 捲し立てるようなジルの早口に、真壁は全てを察した。
「副店長か」
「ご名答だ。店長の外回りに同行することにしたから、代わりに店に出ろとさ。ったく、とんだモーニングコールだ」
「……災難だったな」
「いつものことだ、ありがとよ」
 ジルは半ばやけくそ気味に肩をすくめて見せた。
 副店長ことアーレンは、「Café Rouge et Noir」ができる以前からジルの直上の上司だ。経営手腕は恐ろしいほどに優秀だが、その人使いの荒さもまた実に恐ろしい。
 アーレンに振り回されるジルを常日頃から見ているからこそ、真壁の眼差しに微かな同情の色が混じっていた。人使いの荒い上司をもつ苦労は、真壁が誰より一番よく知っているのだ。
「やっぱりここにいた」
 そこへ、裏口からセナが顔を出した。
「ん? どうしたカシワギ」
「お前が喫煙所に顔出すなんて珍しいな」
「僕だってできれば近づきたくないですよ、こんなとこ。来栖さんがお二人を呼んでます」
 煙草の煙に顔をしかめると、セナは「店に入れ」と視線で二人を促す。
「来栖が?」
「クルスが?」
 真壁とジルは異口同音に声を発して顔を見合わせた。

「っ!?」
 真壁とジルがホールに戻った途端、パンと小気味のいい音が鳴り響き、微かな火薬の匂いが漂う。
「はーい、おかえりー」
 思い切り面食らった二人の前に、来栖が立っていた。
「……新手の嫌がらせか?」
 喫煙所から戻るなり来栖から消臭剤スプレーの連続攻撃を食らうのはもはや恒例行事だが、クラッカーの直撃を食らうのは初めての経験だ。真壁は憮然としたまま、髪に絡んだ小さな紙吹雪や紙テープを手で払う。
「何言ってんの。お祝いだよ、お祝い」
「何の?」
「キミの誕生日だよ、真壁」
「誕生日?」
「今日は9月24日でしょ。忘れてた?」
「ああ、完全に忘れてたな」
「うっわー、相変わらず他人事……」
「くっ……!」
 温度差のありすぎるやり取りを見せつけられて、ジルがたまらず喉の奥で笑った。
「良かったなマカベ、バースデーのお祝いだとよ。ほら、オレからも祝ってやる」
 ジルはそう言いながら、先ほど真壁が払い落としたばかりの紙吹雪や紙テープをわざわざ拾い上げ、再び真壁に振りかける。真壁はやめろと言わんばかりに、ジルから距離を取った。
「言っとくけど真壁だけじゃないよ。ラグレーンくん、キミのお祝いも兼ねてるから」
「……は?」
「副店長から来栖さんに連絡があったらしいですよ。ラグレーンさん、誕生日当日の29日は出張だから、誕生日の近い真壁さんと一緒に祝ってあげてくれーって。あの人、意外とそういうとこはマメですよね」
「……アーレンが?」
 信じられないとばかりにジルが振り返ると、いつの間にかホールに戻ったセナがカウンターの奥で手を動かしていた。
「用意出来ましたよ、来栖さん」
「ありがと。それじゃこっちに持ってきてくれるかな?」
 はーいと間延びした返事をして、セナがカウンターを出る。その手には大きなプレート皿が抱えられていた。
「あのアーレンが、ねえ……」
 まだ信じがたいというジルの元へ、セナが可愛らしい飾りつけのされた小さなホールケーキを運んでくる。
「絶対、何か裏があるだろ」
「心配しなくても柏木くんの言ってることは本当だよ。今朝副店長からメールが入っててね。それで急遽、真壁とラグレーンくん二人分の誕生日ケーキにしたってわけ。ちなみにビターチョコのケーキね。キミ達、甘いものはあんまり得意じゃなさそうだし」
「裏が無いなら無いで、別の意味で怖いものがあるんだが……。けどまあ、ここは素直に受け取っとくかな」
 複雑そうなジルの表情に僅かな笑みが混じった。
「良かったな、ラグレーン。ほら、祝ってやる」
 ジルの頭上に、今度は真壁の拾い上げた紙吹雪が降り注ぐ。
「バカ、やめろって!」
「さっきのお返しだ」
「ちょっと、じゃれてないで早く受け取ってくださいよ。このプレート結構重いんですから」
「あ、ああ、悪い」
「そうだ、真壁。ちょうどいいからそのまま持っててよ」
 真壁がプレート皿を受け取ると、来栖はエプロンのポケットからおもむろにスマートフォンを取り出した。
「おい、ちょっと待て。何撮ろうとしてんだ!?」
 来栖がカメラモードを起動したであろうスマートフォンを構えるのを見て、真壁が明らかにうろたえる。
「いいでしょ、写真の一枚くらい。ほら副店長への業務報告ってことで、ね? はい、ラグレーンくんも一緒に」
「何が業務連絡だ! ラグレーン、お前も何か言ってやれ」
「んー? まあ、せっかくだしたまにはこういうのもいいんじゃねえの? 副店長のお取り計らいってことで」
「お前っ……!」
 さっきまでその副店長に毒づいていたのはどこのどいつだと真壁は思ったが、今それを口にしたところで完全にアウェーと化した現状を覆すことは不可能に近い。
「ほら、二人共もっと寄らないと収まらないですよー」
「じゃあ、こうすっか」
「おいっ!」
 セナに促されて、ジルが真壁の肩に腕を回す。
「お、いいね。ラグレーンくん、イイ感じ」
「いい感じじゃない、離せ!」
 真壁はジルを押しのけようとするものの、プレート皿を持っている手前、大した抵抗にはならなかったようだ。
「んだよ、ツレねえな。一緒に飲み明かした仲だろ?」
「あれ、キミ達そんなに仲良しだったっけ?」
「誰が仲良しだ! 気色の悪い言い方をするなっ!」
「ったく、これだからノリの悪いジャパニーズは……」
「ねー早くしてくださいよー。食べる前にディナータイム始まっちゃいますって」
 テンションの異なる四人の声が、不協和音となってホールに響き渡る。そうこうしているうちに、ケーキに立てられたキャンドルが溶け始めていた。
「はい、とにかく撮るよ!」
 埒が明かないと、来栖が声を張り上げる。
「3、2、1!」
 パシャリ。
 こうして騒がしすぎる空間を切り取った一枚の写真が、来栖のスマートフォンに収められた。

 ――同時刻。霞朝市内の某所にて、二人の男のスマートフォンに新着メッセージの通知が入った。
「……何やってんだ、あいつら」
 業務用の共有メッセージアプリに表示された一枚の写真に、周防は眉を跳ね上げる。
「君の部下と私の部下が、思いのほか上手くやっているという証拠だよ。エイジ・スオウ」
 周防と同じようにメッセージアプリを開いたアーレンは、ふっと微笑を浮かべてスマートフォンをしまうのだった。

~fin~