ランチ帯のピークが終わり、カフェタイムにもまだ少し早い頃、「Café Rouge et Noir」の店内に客がいなくなると来栖の声が響いた。
「お前今日はもう上がりだろ。試作でもすんのか?」
帳簿をつけていた周防が、カウンターの奥から顔を出す。来栖の担当はホールでの接客だが、自らキッチンに立って新作スイーツを開発することも珍しくはなかった。
「あー、それもあるんですけど。まあちょっと色々と」
「いいぞ。余ってる食材適当に使え」
「どうも。……あ、ちなみに柏木くんどうしました?」
「へばってたから先に休憩に出した。たぶん裏で伸びてんだろ」
「あー……。副店長とラグレーンくんは本国出張中だし、真壁は遅番だし、今日は人数少ないのにいつにも増してランチ忙しかったですからね。じゃ、キッチン入りまーす」
「おう」
周防が帳簿に目を落とすと、来栖はヒラヒラと手を振ってキッチンへと消えて行った。
*
「戻りましたー。……はあ」
休憩を終えてホールに姿を現したセナは、人目も憚らずに大きなため息をついた。
「へばったままじゃねーか」
ぐったりと客席のソファーに腰を下ろしたセナに渋面を作ると、周防は先ほどから続けていた帳簿作業を中断してカウンターの外に出る。
「体力無さすぎんだろ」
「僕は肉体労働向けじゃないんですって」
「ったく、これだから引きこもりのモヤシは……」
周防が呆れて額に手をやると、セナはムッとしたように唇を突き出した。
「モヤシはあんまりじゃないですか。僕モヤシ嫌い……」
「うるせえ、お前みたいなひ弱はモヤシで十分だ。……つーか、まだ野菜の好き嫌いしてんのかお前は。だからでかくなれねぇんだよ」
「だーかーら! 何度も言ってますけど、僕の背はこれでも高い方なんです! そもそもこの店の平均身長がおかしいんですよ!!」
「はいはーい、お二方―! そこまでにしてこっちに注目―!」
ヒートアップしかけた周防とセナのやり取りを遮るように、パンパンと軽快に手を打ち鳴らす音がする。思わず2人が振り返ると、来栖がキッチンから出て来たところだった。
「あれ、もしかして新作ケーキの試作ですか?」
来栖が手にしたプレート皿を見て、セナの目がぱっと輝く。その変わり身の早さに周防が「ガキか」とぼやいたが、既にケーキに意識を集中したセナの耳には届かなかったようだ。
「うーん、半分正解で半分外れかな。評判良かったらメニュー化しようとは思ってるけど、とりあえずこれはオレ達3人のバースデーケーキ」
「……僕達の?」
「どういうことだ?」
周防とセナが揃って怪訝な顔をすると、来栖は器用にウィンクをして見せた。
「周防店長は4月2日、柏木くんは6月6日。で、今日7月7日はオレの誕生日。でも今年は店の改装とか色々あって当日できなかったから、今日まとめてお祝いしちゃおうかなーって」
来栖そう言ってテーブルにプレート皿を置いた。綺麗にデコレーションされた小さなホールケーキにはキャンドルが数本立てられ、皿にはチョコソースで「Happy Birthday」の文字が綴られている。
「もちろん、野郎が作ったバースデーケーキなんて願い下げだーってことなら、無理にとは言いませんけど」
「僕いただきます。来栖さんのケーキ美味しいし」
「即答だな」
目をキラキラと輝かせるセナに毒気を抜かれたのか、周防も口元を緩めた。
「ありがとよ。俺ももらう」
「じゃ、切り分ける前にせっかくだから火点けましょっか。周防店長、ライター貸してください」
「ほらよ」
周防からジッポーを受け取ると、来栖はキャンドル一つ一つに火を灯していく。
「本当は全員の年齢分キャンドル立てられたらいいんだけど、確実にケーキ見えなくなっちゃうからさ」
「そうですよね。周防さんのだけでも50本近いし」
「50本は多すぎんだろ。四捨五入したってまだ40本だぞ」
「僕から見たら大して変わんないですよ。どちらにしろオッサ――」
「おい、誰がおっさんだクソガキ」
「自分で言ってんじゃないですか。ていうかクソガキはひどく――」
「はーい、ケンカしなーい! できましたよ」
再びヒートアップしかけた2人の前にプレート皿をスライドさせると、来栖は素早くホールの照明を落として戻って来た。
「ガキの頃以来だな、こんなの」
「ボクもです」
薄暗い店内で揺らめくキャンドルの小さな灯りに、周防とセナが目を細める。
「ちょっとワクワクするでしょう? じゃ、せーのでフーしてくださいね。……せーの!」
来栖の合図でキャンドルの灯りが消える。3人の「Happy Birthday」の声が重なり、自然と笑顔が溢れた。
そんな穏やかな時間を共有する彼らはまだ気づいていないのだった。
遅番として出勤して来た真壁が、この雰囲気の中に踏み込んでいいものかカフェのドアの前でずっと悩んでいることを――。
~fin~