松澤佐

「……っ、よし! 材料はばっちりきっかり計量完了♪ えーっとまずは、卵と砂糖をハンドミキサーで……」
「ハンドミキサー……手のミキサー……?」

 梅雨入りの気配が未だ見えない6月10日。
 去年はウチの”敏腕マネちゃん”をもってしても休みが確保できなかったけど、業界全体が余裕を持ったスケジューリングで進行しているおかげか、今年は揃って完全オフ(1年ぶり3回目)を手に入れる事が出来た。
3月にバースデーだった従弟から届いた「初心に返って手作りバースデーをしたらめちゃくちゃ盛り上がった」という惚気メッセージが妙に記憶に残っていて、スケジュール確認の時にポロっとその話をしたら、じゃあオレたちも今年はそうしてみようかって事になって……今に至る。

 行きつけのカフェバーの店長に「誕生日プレゼントちょうだい!」とねだって教えてもらった、初心者でも出来るスポンジケーキのレシピ。
 ご丁寧に材料のチェックリストまで付けてくれたので、これならはじめてのお使い(ケーキを作ろうの回)も大丈夫だなと思って事前の準備はオレに任せてもらったんだけど。
初手で聞いたことのない機材名とご対面してしまった。

「……ハンドミキサーって、普通のミキサーとは違うやーつ?」

隣でフルーツを切っている彼女に回答を求めて、ようやく敵の正体が思い当たる。

「ああ! ヴィーーーンってやるやつだ! え、アレないとケーキって作れない?」

 ボウルの中には既に、オムライス作りで会得した秘儀・片手割りをご披露した結果の卵と砂糖がインしてしまっている。
用意するものリストに書かれてないってことは、あの機械はフツーに一家に一台あるもの……?
携帯の顔文字よろしく顎に手をあてて最寄りの家電量販店を思い出していると、調理器具の棚を探っていた彼女がスッと何かを差し出してきた。

「へぇー、これで代用出来るんだー」

 手渡されたのは、オムライスの卵をシャカシャカするのに使っている泡だて器。
常々「言うほど泡立つか?」と思っていたコイツは、どうやら本気を出せば卵や生クリームをモッコモコにすることが出来るらしい。
 オレが関心している間に、敏腕な彼女はスマホで参考動画を検索してくれていたので、ここぞとばかりにピッタリとくっついて画面を覗き込む。

「ねぇ……これって、めーちゃめちゃ重労働じゃない?」

 オレの言葉を肯定するように、彼女はスマホから視線を上げてにっこりと微笑んだ。
恐らくプロであろう動画の主は手慣れた様子でシャカシャカと泡だて器を回し続けているが、途中から倍速処理になっているし、それでも結構な時間混ぜ続けている。
これは、絶対に利き手が生贄になるパターンだ。

「……佐から始まるー、シャカシャカじゃんけん! 負けた方が泡立て係!」

 イチャモードから一転、ファイティングポーズを取ってこぶしを差し出すと、彼女も同じくファイティングポーズをとった。
突然のアホアホなノリにもちゃんと並走してくれる、本当によく出来た彼女である。

「さーいしょーはグー! 恨みっこなしでー、じゃーんけーん――!」

ーーーーーー

「あー……めっちゃ腕ダルい……」

 案の定というか、お察しの通りというか。
泡立てじゃんけん卵の部・生クリームの部両方に敗北したオレは、ハンドミキサーの不在を埋めるのがいかに大変な事かを身をもって痛感した。
本日のじゃんけんクイーンである彼女は、オレが呻きながら手を動かす様をキャッキャと楽しそうに撮影するだけで、決して交代するとは言ってくれなかった。
まあ、泡立て以外のパートを殆どやってくれたので、作業量としてはトントンなんだろうケド。
 出来上がったバースデーケーキの上では、彼女が前もって作っていたという佐マークのチョコプレートがご機嫌なスマイルを浮かべている。
ホールケーキだけど小さいサイズの型を選んだので、行儀悪く切り分けずに食べるつもりだ。

「右腕に深刻なダメージを受けたので、フォークが持てませーん。食・べ・さ・せ・て❤」

 普段は却下されるレベルのお願いだけど、お誕生日様特効もプラスされたおかげですんなりとOKが出た。
折角だし膝の上に座った状態で「あーん」ってやってもらおうか。

お出かけも特別なサプライズもない、ごくごく普通のバースデー。
たまには初心にかえるのも良いかもしれない。

【END】