宝梅 賢二

 暦の上では春――とはいうものの、未だ冷え冷えとした夜の空気が室内にまで伝わってくる深夜。
息抜きがてらふと携帯を覗くと、メッセージアプリの通知がただならぬ件数になっていた。

(何かトラブルでも起きたのか……? いや、メッセージの通知音は鳴ってなかったはず……)

 日頃から、執筆作業の妨げにならないよう重要な連絡が届くもの以外は通知音を切るようにしている。
不安半分でアプリを開くと、未読メッセージは画面を2度スクロールするくらい溜まっていた。
 大量の通知の内訳は、1か所から何通も……ではなく、一部のメッセージグループが盛り上がっているのに加えて、大勢から1,2通の連絡が届いている、というものだった。
一番通知件数が多いのは、劇団の内外を含めた親しく付き合っている仕事仲間のグループ。
その下に今携わっている座組のグループ、直近で関わっていた仕事のグループと続いて、滅多に動かない家族のグループが目に入ったところで、ようやく今日が何の日かを思い出した。
 職業柄、曜日感覚が薄いだけでなく昼夜すら逆転していることが多い身なもので、週が明けた事すら気付いていなかったが……数時間前にオレは誕生日を迎えていたようだ。

 注ぎ口の細い、珈琲のドリップに適した電気ケトルで湯を沸かしながら誰からメッセージが来ているかをざっと確認する。

(そういえば……これはアイツからの誕生日プレゼントだったな)

すっかり家の一部となっているこのケトルは数年前、まだ彼女が友人兼劇団仲間だった頃に貰った物だ。
あの頃はその後に待ち受けている別離も、彼女と今のような恋人関係になることも全く知らず……いや、多分もう自覚はしていたか。
芽生え始めていた気持ちから目を反らし、遠回りルートを歩んでいた頃だ。
結果として正しいルートに戻れたから良いものの、2人の道が交わらないままだったらと思うと、今でもゾッとしてしまう。
本当に、若さゆえの過ちというのはロクでもない。
 ……思い出の一品から思わぬダメージを食らったところで、改めて意識を携帯に戻そう。
 一番上の通知の横には約1時間前の時間が表示されている。
深夜とも早朝とも言えるこの時間、中にはオレと同じく朝陽を拝んで床に就くタイプの人間もいるだろうが、大抵のヤツは寝入っているはず。
流石に今からは憚られるが、今日中には一通り返信をしておきたい。
今日中と言いつつも、絶賛昼夜逆転中のオレが寝て起きてからだから……実質は午後の12時間の中で――刻一刻と迫ってくる締め切りの目をかいくぐりながら、だ。

(……想定外の作業が増えた)

 一往復のやり取りで済みそうな人、近況報告を求められそうな人(これは主に兄姉)、ウザ絡まれそうなヤツ(これは佐を含む仕事仲間グループ)――送られてきた祝いの言葉に目を通し、片っ端から『既読』にしていく。
 十数分ほどこの作業を続けていると、ようやく終わりが見えてきた。
メッセージリストの一番下、日付が変わると同時にオレの誕生日を祝ってくれたのは――

「くくっ……色気のねぇ文章」

 祝いの言葉から始まり、オレが誕生日だと気付いていないことや昼夜逆転生活の真っただ中であること、このメッセージに気付くであろう時間帯や珈琲片手という今の状況まで。
誰よりもオレを理解している恋人からのメッセージは、予言というにはあまりに生活感にあふれている。
 オレたちは、互いの性格的に周りのカップルと比べると「甘さ」というものが控えめな関係だと思う。
文字だけよりも声を、声だけよりも直接顔を合わせて――そういう共通認識で付き合いを続けているので、他愛もないメッセージのやり取りというものはほとんどなく、履歴に表示されている通話時間も長くて十数分、用件を伝えるだけの1分未満なんていうのも珍しくはない。
だから、彼女から長めのメッセージが送られてくるのは今日くらいなのだ。
 このメッセージが文字ではなく電話だったとしたら、きっと彼女の声には、呆れつつも『オレのことなんて全てお見通しだ』という得意げな色が滲んでいたことだろう。
想像して無性に声が聞きたくなってきた。

(勤め人を叩き起こす訳にもいかないからな……)

 彼女が起きた頃に電話をかけることも出来るが、出勤前じゃ慌ただしく話を切り上げることになるだろう。
昼時はオレが寝ているし……いっそ仕事終わりを捕まえにいくか。
なんて考えている間に、メッセージアプリ画面の表示が切り替わった。
既読が付くのを待っていたかのようなタイミングでの着信。
スッと通話状態に切り替えると、画面には就寝スタイルの彼女が映し出された。

「起きてたのか。明日、つーか今日も仕事だろ? ……もう若くねぇんだから、あんまり無理するなよ」

 そこからオレの仕事の進捗やら何やらと取り留めのない会話を20分ほど交わしたところで、彼女が限界を迎え話を切り上げた。

「一番乗りで祝いたかったとか……ガキかよ」

 終話間際、かなり眠気の混じった声で紡がれた『誕生日おめでとう』を思い出して自然と頬が緩む。
恋人として何度となく夜を共に過ごしてきたが、今夜の彼女は特に可愛らしく見えた。

 甘さ控えめだと思っていた関係に、突如投げ込まれた砂糖菓子のような時間。
毎日だと胸焼けしそうだが……年に2度、お互いの特別な日はこれくらい甘いのも悪くない。

END