『かがやくひと』浦井雅臣 2021年バースデーSS
そこにだけ、見えないスポットライトが当たっているような。
初めて彼女の舞台を見たとき、俺はそんな感覚を味わっていた。
——それは、業界の知人に誘われて行った小さな演劇祭。
参加している劇団も役者も聞いたことがない名前ばかりで、それでもこの業界に飛び込んで日が浅い俺は、勉強になるならと知人に着いていくことにした。
朝から夜まで、タイムスケジュールに従って様々な舞台が上演される。
1日券を持っていれば入退場は自由で、好きなときに好きな作品だけ見ることができる。
「今の舞台、どうだった?」
ひとつ作品を見終えたところで隣の席の知人が話しかけてきた。
「結構面白かったです。ラストとか予想外で」
「まあなー。でも演出がダサかったよな。脚本は結構いいのに、もったいない」
知人は呟きながら、アンケート用紙に何か記入している。
前向きな意見も厳しい意見も、彼はこうして率直に書いて劇団関係者に伝えるのだそうだ。
俺も、自分の劇団でお客様からいただくアンケートを読むのが楽しみなので、観客として舞台を見に行った際はなるべくアンケートを書くことにしている。
「さてと……あ、次だよ、俺の知り合いが出るやつ」
パンフレットの上演スケジュールを見ていた知人に言われ、俺も同じように手元のパンフに目を落とす。
「SF仕立てのオムニバス……ですか」
「そう。結構面白いって言ってたから、期待してろよ」
「はい」
正直、SFにはこれまであまり興味がなかった。
彼と一緒に来ていなければ、もしかしたら見ずに帰っていたかもしれない。
それなのに——
(……なんだ、これ)
舞台に一人の女優が登場した途端、パッとそこだけ明るくなったような——ピンスポがそこにだけ当たっているような感覚を覚えた。
特別目立つ役ではない。台詞が多い訳でもない。それなのに、自然と彼女の動きに、表情に惹きつけられる。目が離せない。
たとえば俺が所属する劇団ラグナロクの看板役者の侑生さんも、舞台に立つと自然と人の目を惹く。台詞を喋っていないときでさえ、観客の視線を離さない——
『役者には何よりもそれが必要なんだよ』。ある日のゲネプロを見ながら、ぽつりと恭太郎さんが呟いたのを覚えている。
役者に必要不可欠な『華』。けれど、目の前で演じている彼女の芝居にはそれ以上の何かを感じずにはいられなかった。
心臓を鷲掴みにされたような……息をすることすら忘れるような。
——気づいたときには芝居が終わり、客席がざわついて周囲の観客たちが立ち上がり始めていた。
「おい、浦井?」
知人に呼びかけられ、ようやく俺は我に返る。
「え、あ……え?」
「なんだよ、ぼーっとして。つまんなかった?」
「え? いや、そんなことは」
「結構よかったよな。上手くまとまってた」
俺は慌ててパンフレットのページをめくる。
今上映されたばかりの作品の出演者一覧から、俺が惹かれてやまなかった彼女の名前を探し出した。
「あの……この女優さん、すごくよくなかったですか」
「ん? あー……2本目に出てきた子か。そうだな、まあまあ良かったんじゃない?」
彼はあまり興味がなさそうに言って、『それより俺はこっちの方が……』と他の役者のことを話し始める。
(そうか……あんなふうに感じたのは、俺だけだったんだ)
今でも頭のどこかが芝居の世界から戻りきっていないような、不思議な感覚だった。
知人が休憩に出ている間、俺は手元のスマホで彼女の名前を検索してみた。
すぐにSNSのアカウントが出てくる。
ドキドキしながら発信されている情報を遡っていくと、次に客演する舞台の告知がされていた。
俺はその予定を、スケジュールアプリにそっと登録した。
* *
「オーディション……?」
「ああ。次の作品で、一部のキャストはオーディションで選ぼうと思ってる」
定期公演が終わり、ひと息つく暇もなく劇団ラグナロクは次回公演に向けて動き出す。
劇団事務所で恭太郎さんにそう言われたとき、俺の頭に浮かんだのは彼女のことだった。
「それって、公募だけですか?」
「ん? どういう意味だ?」
「実は、推薦したい役者さんがいて……」
俺は恭太郎さんに彼女のことを告げる。
彼女の芝居との出会い、どれだけ魅力的な演技をする女優なのか、見に行った舞台でどんな役を演じていたのか……。
熱量を込めて語りすぎたせいか、恭太郎さんは肩を揺らしてどこか楽しそうに笑った。
「へえ、雅臣がそこまで一人の役者に惚れ込むなんて珍しいな」
「あ、すみません、私情挟んじゃって」
「いいんじゃないか? SNSがわかるなら、お前、オーディションのこと連絡してみて。興味があれば受けてほしいって」
「……っ、わかりました」
彼女からは丁寧な文面ですぐに返事が来た。
ラグナロクの舞台には以前から興味があったので、是非受けさせていただきたいです、と。
* *
——そして、オーディション当日。
受付で準備をしていると、よく通る声が響いた。
「こんにちは。劇団ラグナロクのオーディションはこちらですか?」
「……っ!」
彼女だ。
心臓が飛び跳ねそうになるのを堪え、俺は必死に表情に出さないよう対応する。
「はい。お名前を伺ってもよろしいですか?」
当然、彼女の名前は把握済みだったけれど、これは仕事で、ここでの俺は彼女のファンじゃない。劇団ラグナロクの制作担当だ。
告げられた名前を名簿から探してチェックを入れ、今日使う台本を手渡す。
「更衣室はこの奧です。着替えが終わったら、時間になるまで中でお待ちください」
「わかりました」
彼女はぺこりと頭を下げ、中に入って行こうとする。
「っ、あの……頑張ってくださいね!」
思わず、本音が漏れてしまった。
足を止めて振り返った彼女は、少しだけびっくりしたように目を見開いてから、ふわりと花が咲くように笑った。
「ありがとう」
* *
顔合わせの日は、いつもどこか緊張する。けれど今日はこれまでの比じゃないくらいだった。
朝から集中できなくてトーストは焦がすし、右と左で違う靴下を履いていることに玄関で気づくし、財布を忘れて全速力で駅から家まで戻った。
(俺、浮かれすぎだろ。しっかりしろ)
気合を入れ直し、稽古場に足を踏み入れる。
何人かの役者はもう揃っていて、劇団の所属役者たちは各々雑談をしたり、ストレッチをしたりしていた。
(……いた)
その中にぽつんと、体操座りをした彼女の背中を見つける。
顔見知りがいない彼女は、一人で台本を読んでいるようだった。
俺は一度深呼吸し、一歩一歩、彼女へと近づいていく。
そして大きく息を吸いこみ、意を決して声をかけた。
「……あの。今回、初めて客演してくださる女優さん……ですよね」
台本から目を上げた彼女が、『ああ』と小さく呟く。オーディションのとき言葉を交わしたことを覚えていてくれたのかもしれない。
それだけで俺は、舞い上がりそうになるほど嬉しかった。
「俺、ラグナロクの制作担当で、浦井雅臣って言います。よろしくお願いします!」
——Dear Masaomi,Happy Birthday!