『ずっと一緒に』本条恭太郎 2020年バースデーSS

稽古の後、劇団事務所で事務仕事を片付けていると、軽やかなノックの音とともに彼女が顔を覗かせた。
「お疲れ様です。恭太郎さん、何か手伝うことありますか?」
彼女はよくこうして、空いた時間に俺の仕事を手伝ってくれる。
「あるにはあるけど、帰らなくていいのか?」
「いいんです。少しでも一緒にいたいので」
そう言って、はにかんだように微笑む様が愛しくて、思わず口元が緩んだ。
「それじゃあ、お願いしようかな。これ、順にホチキスで綴じてもらっていい?」
「わかりました。一箇所? 二箇所?」
「一箇所。右上」
「はーい」
俺の隣のデスクに腰を下ろし、彼女がパチン、パチンとステープラーの音を響かせて書類を綴じていく。
「そうだ。来週の月曜日、時間あるか?」
作業の手は休めないままに、彼女に尋ねた。
「月曜……空いてますけど、どうして?」
「知り合いの舞台に誘われたんだ。一緒にどう?」
「行きたいです!」
二つ返事が返ってきて、微笑とも苦笑ともつかない笑いが漏れた。
「どこの劇団か、どんな舞台かも聞かずに決めていいのか?」
「だって、恭太郎さんが誘ってくれるってことはお薦めの作品なんですよね? それなら迷う余地ないです」
もう一度、今度は明らかな苦笑が零れる。
「責任重大だな。俺だって初めて見るのに」
「もしつまらなかったら、終わった後に二人で愚痴を言えるじゃないですか」
「違いない。じゃ、チケット2枚頼んでおくよ」
「楽しみにしてますね。……あ」
針が切れたのか、彼女が使っていたステープラーがカチッと乾いた音を鳴らした。
「替えの針、どこでしたっけ」
立ち上がった彼女が、スチール棚の引き出しをいくつか開ける。
「ここじゃなかったか」
彼女の背後から引き出しに手を伸ばし、目当ての場所を開いたとき——
いきなり入り口のドアが開いた。

驚いて彼女と二人、振り返る。
ドアを開けたのは劇団員で、向こうは俺たち以上に目を丸くしていた。
「あっ……す、すみません。いると思わなくて」
「いや、構わない」
さりげなさを装って、至近距離まで近づいていた彼女から離れる。
劇団員は何度も頭を下げながら事務所に入ってきた。
「ほんと、すみませんでした。次からはちゃんとノックしますね。……あ、あった。それじゃ、俺はこれで。お邪魔しました!」
忘れ物でも取りに来たのか、劇団員は目当てのものを手に取ると、早口にまくし立ててそそくさと出て行く。
ドアが閉まると、彼女と二人小さく息を吐いた。
「……気を遣わせちゃいましたね」
「そうだな」
別に何かやましいことをしていたわけじゃない。ただ彼女には純粋に劇団員として仕事を手伝ってもらっていただけで、距離が近づいていたのもたまたまだ。
それでも——
劇団内で交際していると、どうしてもこういう事態は起こりえる。
(こういうのが面倒で、劇団内恋愛は避けていたんだけどな)
そんなポリシーもあっさり覆すくらい、彼女に惹かれてしまった。もちろん、それを後悔しているわけではないけれど。

「……できた!」
俺の思考を、彼女の明るい声が破る。
「できました。他にやることありますか?」
「……それじゃあ、今綴じたのを三つ折りにして、こっちの封筒に入れて、封をする。それで完成だ」
「了解です。……その前に、飲み物買ってきますね。コーヒーでいいですか?」
「ああ。ありがとう」
俺がモヤモヤと考え込んでいたことに気づいたのだろう。彼女のこういうところに、ひどく救われている。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい。気をつけて」
「すぐ下の自販機ですよ? ……けど、転ばないように気をつけます」
笑いながら出て行く彼女を見送って、俺もいつの間にか微笑んでいることに気づいた。

*   *   *

月曜日。知り合いの芝居を一緒に見て、食事をしながら軽く酒を入れて——
久しぶりのデートの後は、自然と俺の部屋にやって来る流れになった。

二人きりの時間を持つこと自体も久しぶりだったせいで、ベッドに入れば求める気持ちは抑えきれなくて。
俺の無茶に付き合った彼女は、疲れ果てて腕の中で眠ってしまった。
(……可愛いな)
先ほどまでのなまめかしい姿からは想像もできないほどのあどけない寝顔を見つめ、飽きることなくキスを繰り返す。
——やがて、彼女がぱちりと目を開いた。
「目が覚めた?」
「……今何時ですか!?」
叫ぶやいなや、彼女が身体を起こす。
「0時を過ぎたところだけど……帰るのか?」
てっきり今日は泊まっていくのだとばかり思っていたので少し無理をさせたけれど、悪いことをしたかもしれない——
心の中で反省している俺に向かって、彼女が満面の笑みで告げた。
「お誕生日おめでとうございます」

「…………ああ!」
俺の反応を見て、彼女は悪戯っぽく笑う。
「忘れてました?」
「昨日までは覚えていたんだが。……そうか、そうだったな」
ようやく実感が湧いてくると同時に、彼女を抱き寄せた。
「ありがとう。君に最初に祝ってもらえて、すごく嬉しいよ」
軽くキスすれば、彼女は自分のことのように幸せそうに微笑む。
もう一度、少しだけ深いキスをして、俺は口を開いた。今日伝えようと思っていたわけではないけれど、タイミングと勢いは大事だ。
「実は、君に相談があるんだけど。……俺と一緒に暮らさないか?」
「……え?」
「ここのところ、ずっと考えていたんだ。君ともっと二人だけの時間が欲しいって。単純かもしれないけど、一緒に住めばそれだけ長く、二人で過ごせるだろう?」
「…………」
「もちろん、すぐにとは言わない。君のほうの都合もあるだろうから……」
「はい。私も一緒に暮らしたいです」
あっさり頷く彼女に、俺はまたしても苦笑を漏らす。
「またそんな簡単に。舞台を見に行くのとは訳が違うんだぞ?」
「だって、できるだけ一緒にいたいのは私も同じですから」
彼女はそう言って、俺の胸に抱きついてきた。単純明快で——けれどそれが一番大事なことなのかもしれない。
「……嬉しいです。恭太郎さんの誕生日なのに、私がプレゼントを貰っちゃったみたい」
「それはこっちの台詞。君がOKしてくれたことが、何よりのプレゼントだ」
「あ、プレゼントはちゃんと用意してありますよ?」
「……そうか。今日持ち歩いてた紙袋はそれか」
「ふふ、正解です。もうちょっとくっついていたいから、後で渡しますね」
擦り寄ってくる彼女の髪がくすぐったくて、自然と笑みが零れる。愛しくて、幸せで——ずっと離したくない。
「明日の朝でもいいよ」
「え?」
「……もう一回、いい?」
声を潜めて尋ねれば、伏せた目元が仄かに色づく。その表情が艶めいたものに変わって——

一つ歳を重ねたばかりの夜が、甘く密やかに更けていった。

——Dear Kyotaro,Happy Birthday!