『4年前のバースデー』塚原和馬 2021年バースデーSS

ドアベルの音とともに店に足を踏み入れる。
「いらっしゃい」
カウンターの向こうで初老のマスターが気のいい笑顔で出迎えてくれる。いつ来ても、この店は居心地がいい。
「いつもので」
「かしこまりました」
カウンター席の左端——いつもの俺の指定席に腰を下ろしてしばらくすると、若い女性の2人組がこちらにやって来た。
「あの〜……お一人ですか? 私たちと一緒に飲みません?」
「私たちダーツ初めてで、教えてほしいんですけど」
喧噪から離れた落ち着いたこの店に、ミーハーな客やただ騒ぎたいだけの若者グループが来ることは希なのだけど。
とはいえ、この手の不似合いな客も時折紛れ込む。
俺は苦笑しつつ、手元のグラスを揺らして答えた。
「すみません、生憎人を待ってるので」
「それじゃあお連れの人も一緒に……」
「可愛い彼女。久々のデートなんです」
2人は軽く目配せし合い、いかにも上っ面の笑みを浮かべる。
「そうなんですね〜」
「じゃ、私たちはこれで……」
彼女たちはそれからもしばらく、店内の客を物色していたようだったけれど、他にめぼしい男が現れないとみるとあっさり引き上げていった。
「相変わらずモテるね」
「軽く見えるから声かけやすいだけですよ」
マスターの軽口に応じながらも、俺は4年前のこの日のことを思い出していた。

*   *

「ダーツお上手なんですね」
一人でプレイをして席に戻ると、カウンター席の近くに座っていた女性に声をかけられた。
この店には珍しい、女性の一人客だ。
「そうですか? ありがとうございます」
「あの……私、ダーツってやったことなくて。もしよければ教えていただけませんか?」
これまで何度も聞いたことのあるナンパの常套句。
(……逆ナンするタイプには見えないけど、女性ってのは見かけによらないな)
そんなことを考えつつ、俺は彼女の提案に乗ることにした。
幸い今はフリーだし、たまには違うタイプと遊ぶのも悪くない。
「俺でよければ喜んで」
俺の返答に彼女は嬉しそうに微笑む。子どものような無邪気な笑顔に、微かに心が揺れた。

*   *

「もうちょっと脇を締めて……うん、そうそう。顔はしっかり前。顎引いて……ほら、肩に力入れない」
軽く肩に触れてフォームを修正する。彼女はびくっと身体を跳ねさせた。
「悪い。驚かせた?」
「い、いえ……」
髪の合間から覗く耳朶が赤く染まっている。
(……男慣れしてねえな)
たった一人で逆ナンしてきたかと思えば、この反応。1ゲーム終わる頃には、俺はすっかり彼女に興味を惹かれていた。
「ありがとうございました。教えるのお上手ですね」
「そう? 君の筋がいいから」
「本当に助かりました。……それじゃあ、私はそろそろ」
会計を済ませ、改めて俺に頭を下げて、彼女は店を出ていく。
(……逆ナンじゃなかった?)
自分の勘違いにようやく気付き、一人で顔を赤らめる。
——ますます彼女への興味がそそられた瞬間だった。

*   *

それからも何度か店で一緒になり、そのたびにダーツを教えたり一緒にゲームを楽しんだり。
だいぶ距離が縮まった頃、俺から彼女に申し出た。
「連絡先、交換しない?」
「え……」
カウンター席の隣でカクテルを飲んでいた彼女が、びっくりしたように目を瞬かせる。
「あの、でも……彼女さんに申し訳ないというか」
「いないよ、彼女」
「……そうなんですか? 塚原さん素敵だから、てっきり」
「彼女いたら誕生日に一人寂しく飲んでないって」
「誕生日?」
「君が最初に俺に声かけて来た日。誕生日だったんだ」
「そうだったんですね! おめでとうございます。あ……おめでとうござい、ました」
彼女がはにかんだように笑って、俺のグラスに自分のグラスを触れ合わせる。
(やっぱり……いいな)
「ありがとう。……できれば来年の誕生日も、こうやって隣で祝ってもらえると嬉しいんだけど」
「え……あの、それって」
「俺と付き合わない?」
遊ぶ相手には事欠かなかったし、人肌恋しければ行きずりの相手でも厭わなかった。
特定の誰かに縛られるのは向いてない。自由気ままに、今が楽しければそれでいい。
——そう思っていたのに、久しぶりに一人の相手に縛られたくなった。
「……はい。私でよければ」
真っ赤な顔を俯けながら、消え入るような小声で彼女は答えた。

*   *

——ドアベルの音で我に返る。
4年前の思い出から現実に引き戻され、振り向けば現在の彼女が息を切らせて飛びこんできた。
「そんな急がなくてよかったのに」
「ごめんなさい……待たせちゃって」
「たいして待ってねえよ。ほら、とにかく座れ」
カウンターの隣に腰を下ろした彼女が、マスターに『いつものお願いします』と注文する。
しばらくして出されたカクテルグラスを手に取り、彼女が俺に笑顔を向けた。
「改めて……お誕生日おめでとう、和馬さん」
「ん、ありがとう」
カクテルグラスを口元に運ぶ横顔に見とれていると、ふと彼女がこちらに視線を移す。
「どうしたの?」
「4年の間に、随分色っぽくなったなぁって思って」
「……もう」
「怒った?」
「怒ってない。呆れてるだけ」
「仕方ねえだろ。性分なんだから」
2年半ほど付き合って、別れ話を切り出されて。カッコつけだった俺は、それを引き止めることすらしなかった。
一度手放して散々後悔した。運命論者ではないつもりだけれど、再会してこうして再び元の関係に戻れたことが運命ならば。
「……もう離せるはずねえよな」
「え?」
「なんでもない、こっちの話。……ほら、落ち着いたなら一勝負するぞ。負けたら一杯奢りな」
「でも、和馬さん誕生日なのに……」
「なに。俺に勝つつもり?」
「だって勝負なんだから、どうなるかわからないでしょ?」
「そりゃそうだ」
ダーツ勝負も、人と人との関係も、どうなるかわからない。だからこそ面白い。
「手加減すんなよ」
「そっちこそ」
席を立ち、マシンに向かう。柱の陰で隠れて、一瞬だけ店内から死角になる。
その隙をついて、俺は掠めるようにキスをした。
「……!」
目を丸く見開いてから、一気に真っ赤になって顔を伏せる。
そんなところは、4年経っても変わらない。
——今思えば、あれは一目惚れだったのかもしれないと……出会って4年目の誕生日、そんなことを思った。

——Dear Kazuma,Happy Birthday!