『これまでも、これからも』3周年記念SS
「これ、なんですか?」
劇団ラグナロクの事務所の一角。
棚にある荷物を段ボールに詰めていた浦井雅臣が、背後で作業をしている本条恭太郎に尋ねた。
雅臣が手にしているのは白いラベルのDVDディスク。そこには『第48回全国高等学校演劇コンクール』と油性ペンで書かれている。
「ああ……侑生の高校時代の舞台だ。全国コンクールに出たときのな」
「えっ! 俺、見たいです!」
「だーーーっ! なんでそんなもん取ってあるんですか恭太郎さん!」
少し離れたところにいた瀬戸口侑生が叫ぶ。
劇団ラグナロクは所属俳優が増え規模が拡大したことに伴い、事務所を移転することになっていた。
今はその引っ越し作業の真っ最中だ。
規模が拡大とはいっても、そこはあくまでも小劇場系劇団。スタッフ俳優総出で作業をすることに変わりはない。
「お前がここに入ったときに、資料にと思って知り合いに焼いてもらったんだよ」
恭太郎はなんでもないことのように答える。
「ホームビデオだから画質は粗いけど、少し見てみるか? ちょうどそろそろ休憩しようかと思ってたところだし」
「はい! あ、俺飲み物買ってきますね。コーヒーでいいですか?」
雅臣が財布を手にいそいそと出口へ向かう。
「なんで腰を据えてじっくり見る状況作ろうとしてんだよ……」
侑生ががっくり項垂れたところで、雅臣が開けようとしていたドアが外から開いた。
「お、なんだ雅臣。どうした?」
「塚原さん! お疲れ様です!」
「おう、お疲れ。おーい恭太郎、陣中見舞いに来てやったぞー」
顔を覗かせた塚原和馬が、手に持ったビニール袋を掲げて見せる。
「和馬先輩。わざわざありがとうございます」
「今日はもう仕事ないから、少しなら手伝おうかと思ったんだけど……なんだ、休憩か?」
「はい、ちょうどいいタイミングでした。これ、見ませんか?」
恭太郎が手にしたDVDを見せると、和馬はすぐに察したらしく口元に笑みを浮かべる。
「お、いいな。ラグナロク看板俳優の若かりし頃を拝ませてもらおうじゃねえか」
「勘弁してくださいよ……」
* *
雅臣が人数分の缶コーヒーを買ってきて、早速上映会が始まった。
会場最後列からの定点カメラなので表情の変化までは見えないが、侑生の芝居が高校生レベルでないことはすぐにわかる。
「はぁ……すごいですね、侑生さん。さすがです」
「おだてても何も出ねえぞ」
「雅臣だってお世辞で言ってるわけじゃないだろう。確かこのとき、最優秀演技賞を受賞したんだよな」
「はい。このとき2年で、次の年も連続で」
「そうなんですか! すげえ……」
「瀬戸口侑生の名前は、高校演劇かじってる奴なら聞いたことある程度には知れ渡ってたよ。元々演劇で有名な高校だったしな」
口々にそんな話をしながら、全員でDVDを鑑賞する。
20分ほどが経過したところで、侑生が手にしたリモコンの停止ボタンを押した。
「はい、ここまで」
「え、これからがいいところなのに!」
「そんなのんびりしてる余裕ねえだろ。全然片付いてないってのに」
「予定よりは早いペースだろう。俺も久しぶりに侑生の若い頃の芝居が見られてよかったよ。お前の基本は、もうこの頃には出来上がってたんだな」
「やめてくださいよ……成長してないみたいじゃないすか」
「まさか」
侑生と恭太郎のやり取りを背に、雅臣が取り出したディスクをケースにしまう。
和馬が横からそれをひょいと取り上げた。
「なあ恭太郎、これ借りてってもいいか?」
「いいですけど、どうするんですか」
「うちのに見せてやろうと思ってさ。あいつ、今となっては完全に演劇マニアだし。きっと喜ぶだろ」
和馬の言葉に、侑生が顔を赤くする。
「ちょ……まさか広報ちゃんに見せるんですか!? マジ勘弁してくださいって!」
「いいじゃねえか。最優秀演技賞なんだろ? 恥ずかしがることないって。それに、俺が渡さなくたってその気になればあいつが事務所で見つけるだろうし」
「だったらわざわざ見せないでくださいよ……!」
真っ赤になる侑生に構わず、和馬はディスクケースをさっさと鞄にしまいこんだ。
ラグナロクの広報スタッフである彼女は、今頃は他のスタッフとともに新しい事務所の掃除をしているはずだった。
「和馬先輩、それならこれも持っていきますか?」
恭太郎が棚から別のディスクを取り出す。
「なんの映像だ?」
「俺たちのサークルの公演です。和馬先輩が主演したときの」
「……っ! おま……そんなもん、どこから……!」
「この間、部屋の片付けしてたら見つけたんですよ。何かの資料になるかと思って事務所に置いておいたんです」
「塚原さんの芝居、見たいです!」
「俺も。ちゃんと見たことないんすよね、実は」
「お前ら……ほら、さっさと片付けに戻れ! 時間ねえんだろ?」
「諦めてください、先輩」
恭太郎がにこやかに笑う。雅臣はケースを受け取り、再びディスクをセットした。
「……いつの公演だ? お前も出てるんだろうな?」
「俺はちょい役ですよ。セリフ1つか2つの」
「くそ……俺の芝居がボロボロだったときのやつじゃねえか……」
和馬がブツブツと言っている間に、再生がスタートした。
侑生と雅臣が目を輝かせて画面に見入る。
「…………」
「…………」
しばし無言のときが流れ、和馬は居心地悪そうに身じろぎした。
「……お前ら、黙ってないでなんか言えよ」
「いや……言うほどひどくないじゃないですか、塚原さん」
「そうですよ! 俺、塚原さん目立つし絶対舞台映えすると思ってたんですよね。思った通りでした!」
「あーわかった、俺が悪かった、何も言うな! かえって恥ずかしい!」
和馬が再生を止めようとリモコンを取り上げる。雅臣がそれを慌てて制した。
「あ、待ってください! あと恭太郎さんが出てるところだけ見たいです!」
「……それもそうだな」
和馬が場面をスキップさせ、しばらくして画面の舞台袖から恭太郎が登場した。
「うわ〜! 恭太郎さん若い!」
「当たり前だろう……このとき19だぞ」
「塚原さんも若いけど、なんか落ち着いてるっていうか貫禄ありますよね。ただ者じゃない感ハンパないすよ」
「うるせえな……ほら、恭太郎のセリフ聞いてろ」
侑生と雅臣が口を噤み、耳を澄ませる。
画面の中で舞台が暗転すると、和馬は今度こそ停止ボタンを押した。
「どうだった? 大学時代の恭太郎の芝居は」
「俺、ラグナロク初期の、まだ恭太郎さんが役者やってたときの公演は資料映像で見たことあるんですけど……役者やめたのもったいないなって」
「俺も思います。恭太郎さん、全然役者でいけますよ」
「俺は裏方の方が性に合ってるんだよ。実際、役者と脚本演出の両方をやってたときはどこか中途半端だったしな」
「涼しい顔しやがって……これ、お前の彼女は見たことあるのか?」
和馬の言葉に、恭太郎が僅かに動揺する。
「っ、ないです……見せませんよ、自分からなんて」
「だろうなぁ。お前、かっこつけだもんな? 彼女にがっかりされたくねえんだろ」
「お互い様でしょう、そんなの……」
和馬はディスクを取り出すと、そのケースを恭太郎の手に押しつけた。
「恭太郎。これは持ち帰って、部屋の奧深くに封印しろ。こいつらに貸すんじゃねえぞ。もちろん、あいつにも絶っ対に見せるなよ」
「わかりましたよ」
やれやれと肩を竦めて、恭太郎がディスクをテーブルに置く。
雅臣が空になったコーヒーの缶を回収しながら、嬉しそうに言った。
「すげえ楽しかったです! 貴重な映像ありがとうございました。そろそろ作業を……」
「雅臣……まさかお前、一人だけ逃げられるなんて思ってないよな?」
いつの間にか、侑生の手には別のDVDディスクがある。
「え……ま、まさかそれは……」
「そう! お前が入団してすぐの公演だ!」
「わわっ……ちょっと待ってください侑生さん!」
「誰が待つか! お前もこの恥辱を味わえ!」
侑生は素早くディスクをセットし、再生ボタンを押す。
しばらく早送りをすると、雅臣がぎこちない動きで上手から出てきた。
「うー……恥ずかしい……って、滑舌最悪だし、声裏返ってるし……ああもう下手くそすぎる……」
「お前ちょっと黙ってろ! 聞こえねえだろ」
腕を組んで画面を見ていた和馬が、真っ赤になって縮こまる雅臣に目を向ける。
「雅臣、お前なんで役者やろうと思ったんだ?」
「この頃は、ラグナロクに入ろうと思ったら役者のオーディション受けるしか方法がなかったんですよ……!」
「表立ってスタッフ募集はしてなかったからな」
「恭太郎も、よく合格させたよなぁ」
「オーディションは悪くなかったんですよ。本番に弱いタイプだってわかったのは入団してからでしたし」
「オーディションのときは、とにかくラグナロクに入りたくて必死だったので……俺ほんとダメなんです。舞台に立つと、あがっちゃって」
「まあ、ラグナロクに入らなければ制作に適性を見出すこともなかっただろうし。結果オーライだったんじゃねえか?」
和馬が笑いながら雅臣の肩を叩く。
なんとなく和やかな空気が流れ、今度こそ鑑賞会はお開きとなった。
「しっかし、人に歴史あり、劇団に歴史あり、だな。まさかこんな懐かしいもん見られるとは思ってなかったよ」
「先輩、言うことが年寄りじみてますよ」
「言ってろ」
雑談を交わしながらも着々と手を動かし、荷物を片付けていく。
日が暮れる頃には、ほとんどの荷物が段ボールに収まり、事務所は見違えるようになった。
室内を見渡して、恭太郎がふと目を細める。その様子を見て、雅臣が首を傾げた。
「どうしたんですか?」
「いや……この事務所も長かったからな。いざ引っ越すとなると、少し感傷的になるよ」
「塚原さんのこと言えませんよ。恭太郎さんも歳取ったんじゃないすか?」
「うるさい」
軽口の応酬に、自然と笑い声が続く。
それを聞いていた雅臣が、不意に胸を張った。
「俺、新しい事務所になっても頑張りますから! ラグナロクの芝居を、もっともっとたくさんの人に見てもらいたいです!」
「……そうだな。俺もこれまで以上に頑張らねえと」
「ああ、期待してるよ。もちろん、俺が一番頑張らなくちゃいけないんだけどな」
「で、俺はその手伝いをするってわけだ。……安心しろ。ラグナロクはもっとデカくなる。俺が保障するよ」
「和馬先輩のお墨付きなら、間違いなさそうですね」
「そういうことだ」
手早く帰り支度をした4人が、次々に事務所を出て行く。
「どうします? どこか行きますか?」
「俺、腹減りました〜!」
「朝から作業だったからな。今日は俺が奢ってやる」
「やった! 肉食いましょう、肉!」
「お前ら元気だな……」
「先輩はどうしますか?」
「飲むなら付き合うよ。一杯だけな」
――彼らの物語は続いていく。この先もずっと。
願わくば、その傍らに〝貴女〟がいてくれますように。