『皆でお花見をしよう』

とある任侠一家の末妹が収まるところに収まったのは今から約ひと月ほど前、桜の蕾が膨らみ始めた頃の話。
相手はここ数年小競り合いが続いていた同業――大鳳組の跡取り息子で、姉たちや長姉の恋人である河津にとって、幼い時分を良く知る弟分のような存在だ。
 因みに、次女の恋人で河津の舎弟でもある真国は、年が近いが故のライバル意識か、はたまた根本的にいけ好かないのか、志桐とは顔を合わせる度に睨み合う仲である。
 末妹と志桐の交際に関しては、河津や真国の時のように姉妹の父に挨拶をして終わりという訳にもいかず、早々に両家顔合わせの席を設けなければ……という話が上がったタイミングで、河津・真国・志桐はそれぞれ恋人から花見をしないかと提案された。
姉妹のうち誰かが言い出したのかは判らないが、堅苦しく場を整えるより花見という口実があった方が足を運びやすいだろう、という考えがあってのことらしい。

「場所の確保はアキに任せることにした」

 河津が舎弟・真国明桜との通話を終えてリビングに戻ると、彼女は10分前と同じ体勢で眉間にしわを寄せながら、ローテーブルいっぱいに広げた仕出しのメニューを見比べていた。
 姉妹+各々の恋人+姉妹の父+末妹の恋人の両親、という些か不思議な取り合わせで花見をしたい、と河津が相談されたのは小一時間ほど前。
状況確認のため志桐と真国にそれぞれ連絡すると、2人とも恋人から同じ相談を受けていて、酒の手配は志桐が、場所の確保は真国が手を挙げ、必然的に河津は食事の手配の担当になった。
家に訪れた時点で彼女は既にメニューを手にしていたので、姉妹の間で事前に役割分担がされていたのかもしれない。
 組の行事であれば彼女が采配を振るい河津が若い衆を動かす、という流れが常だが、今回はあくまで家族としての催しなので、彼女と河津の2人で準備を進めることになる。
と言っても、河津に出来るのは当日注文済みの料理を引き取り会場へ運搬するくらいで、何をどれだけ注文するかは彼女に任せるしかない訳だが。

「何をそんなに悩んでんだ?」

 ローテーブルを挟んで正面から、眉間を軽くつついて顔を上げるよう促すと、彼女は微かな唸り声を揚げながら困り果てた表情で河津を見上げた。
 組員の前では己の感情を表に出さないよう努めている彼女が、2人きりの時はこんな風にあからさまに悩んでみせたり、声を上げて笑ったりする。
彼女にとって自分がただの組員では無いと感じられるこの時間が、河津は密かに好きだった。

「アキと坊が居るんだ。多めに手配したって余ることはねぇだろ」
「昔と好みが変わってなけりゃ、大鳳のカシラは洋食好みで肉派だよな。親父は和食好みの魚派だから……」

 そう言いながらメニューの中から肉料理に定評のある洋食店と馴染みの割烹を指さすと、彼女は安堵した様子でいくつかの料理に印をつけ始めた。ある程度目星はつけていて最後の一押しを求めていたようだ。
 単純に招待という事であれば、客である相手側の好みに合わせたものを用意すれば良い。
しかし、今回は手打ちの場。
非公式且つ内々の席とはいえ、こちらが先方を持て成すような形になるのは望ましくない。
とは言え、折角皆で集まるならば美味しい物を食べて楽しく過ごしたい。
 公的な立場と私的な感情、季節感に各々の好み……考慮する点の多い、一番面倒な役回りを、恐らく彼女は自ら引き受けたのではないかと河津は思っている。
労いの意味を込めて髪を乱さない程度に頭を撫でれば、先ほどとは打って変わって楽し気に微笑む彼女と視線が合う。

「楽しそうだな、お嬢」
「……ああ。俺も、良い方向に話が進むことを願ってる」
「末のお嬢さんと志桐の為にってのは勿論だが……大鳳との関係が改善すりゃあ、俺とお嬢も、先に進みやすくなるだろ?」

 河津はそう言いながら彼女の手を取り、左の薬指に軽く口付けた。
 幼少期に面倒を見た2人の幸せを願う気持ちは当然あるが、自分と彼女の関係にも利するところがある以上、機に乗じない手はない。
 周囲から『見た目に反して面倒見が良い』と評価される事の多い河津だが、組の事を抜きにすれば、彼の中での最優先事項は彼女との幸福な未来なのだ。

「酒はお坊ちゃまが手配するっつー話だけど……成人して1,2年のヤローに酒の良し悪しなんて判んのか?」

 花見当日の早朝――この花見会場の中で一番の枝ぶりを誇る桜の木の下でくるくると花見ござを広げながら、真国明桜は独りごちた。
 恋人から花見をしたい、と言われたのは先月末のこと。
彼女からのデートのおねだりという滅多にない出来事に浮かれた真国は、瞬時に携帯で旅行サイトを開き、『近場 一泊 花見 部屋風呂付』というワードで候補地を検索した。
数分後、兄貴分である河津からの電話で2人きりではないと気付いた時は少しがっかりしたが……賑やかな集まりも嫌いではないし、何より彼女のパートナーとして身内の集まりに同席出来るのは嬉しかったので、張り切って場所取りに立候補した。
 今となっては数人の若い衆を面倒みている真国も、ほんの数年前まではこういった雑事を割り振られる立場だった。
花見や祭りなどの近隣の催事からゴルフや避暑地などの接待用リゾートまで、下っ端が手配すべき流れは今も一通り頭に入っている。
 前夜、連絡先を教えた覚えのない志桐から「ボッチで場所取りざまぁ」というメッセージが届いたのには腹が立ったが、こういった下っ端仕事自体は嫌いではない。
今真国が陣取っているのは、仲違いをしている二つの組が手打ちをするための場所だ。真国がいい仕事をすればそれは親父の評判にも繋がる。
あと単純に、恋人が喜ぶ顔が見たい。あわよくば、褒められたい。
 そんな忠心と私欲を供に、真国は近隣で一番の花見スポットの、更に一番見事な景観の守人となるべく、どさりとござに腰を下ろした。。
 今のところ敷地内は真国以外誰もいない。

「……少し張り切りすぎたか?」

 日も昇りきらない薄闇の中、自分の名前の一部でもある花を眺め、時折風が舞い落とす花びらを目で追ったりしながら時間をつぶしていると、ふと後方から足音が聞こえてきた。
 これだけ場所が開いているのだから隣り合うことは無いだろうが、向こうさんの視界にいる以上会釈くらいはしておくべきか。
生来社交性が高い真国がそんなことを考えながら振り返ると、そこには数時間後に河津たちと共にやってくるはずの真国の恋人が居た。

「はぇ!? 何でアンタがここに????」

 地面を啄んでいた鳥たちが一斉に飛び立つほどの大声に苦笑しながら、彼女は真国の陣取っている場所に近づいてきた。
真国が慌ててござの上を手で軽く叩き隣に座るよう促すと、彼女は素直にそこに腰を下ろす。

「差し入れ……は、ありがてぇけど……え、マジで、何で来たんっすか……?」

 差し出された珈琲を受けとりながら、真国はあたふたと彼女に問いかけた。
恋人として会うときは硬い口調を解くよう言われているが、混乱している時などは未だ舎弟としての振る舞いが混ざってしまう。
 ひざ掛けに携帯クッション、少し大きめのランチトートの中身は恐らく真国と彼女の朝食だろう。
持ち物から、彼女が真国と共に皆が集まる時間までここで過ごすつもりだというのが判る。

「いやいやいやいやいや! フツーに未だ寒ぃ時間だし! せめて車で待機……って、今日は車置いてきたんだった……!」
「そりゃ、こうして一緒に居れんのはスゲー嬉しいけど……」
「っ!? この手は、その……へへへへへっ」

 口では彼女がここに留まることを渋っている真国だが、開いた片手はしっかりと彼女の手を掴んでいる。
この様子なら、2人きりの待機時間はあっという間に過ぎていくことだろう。

「メシは河津と姐さんが手配すんだよな……って、そんなパカパカ飲んでっとあとで痛い目見んぞ」

 店員から勧められるままに試飲を重ねる恋人に気を配りながら、大鳳志桐は思案していた。
 ニコイチ扱いだった昔より更に近い距離で隣に立つことを許された数日後、彼女から手打ちについて良い案を思いついた、というメッセージが送られてきた。
 交流が復活するきっかけになった『組同士の手打ち』という課題は、2人の仲が進展した後も残ったままになっている。
交際に至る経緯で大鳳組の組長である父から発破をかけられ、彼女の父親にも交際の許可を得ていることを踏まえると、実質双方から認められているようなものだが、これはあくまで志桐個人としての話。
法的にも彼女を志桐のものにするには、組同士の和解は避けて通れない関門だ。
 彼女と恋人になってから今日に至るまでに、志桐は一度、この問題について父親にサシで訊ねた事がある。
事の発端は何だったのか、どうすれば父は和解交渉のテーブルについてくれるのか。
酒の勢いを借りてではあったが、志桐なりに本気で彼女との将来を考えている事と、そのために両家の中を取り持ちたいと考えている事を伝えたつもりだった。
 しかし、父からは明確な回答は得られず、彼女との将来ついても『内々で文句を言うものは自分が抑えるから、余計な事を考えずとっとと一人前になれ』の一点張り。
胸倉のつかみ合いに発展したところで2人揃って母にバケツで水をぶっかけられ、その場は終いとなった。

「……チッ、脳筋クソゴリラが。ゼッテー仲直りさせてやっからな」

 記憶の中の父に脳内で中指を立てながら、酒瓶を手にとっては戻す作業が続く。
 飲む打つ買うは男の嗜み――今の時代カタギの世界では廃れつつある言葉だが、この界隈においては未だ現役だ。
 志桐はどちらかと言えば「打たせる」側の人間ということもあって、「打つ」についてはあまり興味がない。
また、生涯唯一が早々に決まっていたので、「買う」に至っては興味がないどころか、ハナから頭になかった。
残りの「飲む」だけは人並みに嗜み、自分の年齢にしては精通している方だという自負があった。
 同じ年頃の若い衆は量に関する武勇伝を作っている段階だが、父や河津など年上に照準を合わせている志桐は、良し悪しが判るという点も重視している。
 酒に関してはバーテン、黒服、クラブのママなどその道のプロのアドバイスは勿論、語りたがりの『自称・通』の話にも耳を傾け、実際に飲む。その際は同席した相手がどんな酒を好むのかの確認も怠らない。
当然、自分の父が好む酒は把握しているし、数年前まで定期的に行われていた酒盛りで姉妹の父が飲んでいた酒も覚えている。

「親父さんならこの辺り……ん?」

 志桐が目ぼしい酒を手に取ってラベルを確認していると、唐突に彼女が背後から抱き着いてきた。
志桐の背中に頭をぐりぐりと押し付けながら、いつもより小さな声で何か唸っている。
よくよく聞いてみると、どうやら放っておかれている事に対して抗議しているようだ。

「……試飲でガッツリ酔うんじゃねーよ、バーカ」

 明らかに呂律が回っていない抗議の言葉に溜息をつきながら、志桐は腰に回された彼女の手に空いている方の手を重ねた。

「あとでしっかり構ってやっから。もう暫くコアラの真似して待ってろ」

 普段から対人距離が近い彼女ではあるが、公衆の面前で自ら抱き着いてくるようなことはあまりない。
酔いが醒めた時にこの話をしたらどんな反応をするだろうか。
 数時間後の反応と今の状況に満更でもない笑みを浮かべながら、志桐は固めの杯に相応しい酒を探し続けた。

「桜の下に犬……ここ掘れワンワンって鳴いてみろ、ポチ公」
「テメェの墓穴でも掘ってみますか、クソ坊ちゃま」
「ガキみてぇな真似してねぇで親父に酌をしろ、アキ。志桐も、アキに突っかかる暇があんなら、あっちに突っ立ってる大鳳さんを引っ張ってこい」

 午後になり、場所取りをしていた真国の元に次々と参加者が集まり始めた。
一番最初に到着したのは志桐たち。真国と志桐は顔を合わせるやいなや睨み合いを始め、それぞれの恋人に引き離され一旦落ち着きを取り戻してはまた些細な事で諍いだす、という流れを繰り返していた。
 河津たちが姉妹の父と共に現れてからは双方若干大人しくはなったが、それでも寄るとさわると突っかかり始めるので、河津は十数年ぶりに子守役の真似事をしている気分になった。
30分ほど経ったところで、もう片方の主賓である大鳳夫妻が到着。
早々に場に混じった夫人とは対照的に、組長の方は一同に背を向ける形で付近の桜の木の下に佇み、未だ席を共にしていない。

「……チッ。ここまで来ておいて……手間かけさせんなよクソジジイ」

 素直でない父親の姿に眉間にしわを寄せながら、志桐は隣に座る恋人に声をかけた。

「オレだけだと取っ組み合いになるかもしんねぇから。オマエも一緒に来い」

 自分と同様に、父親もこの恋人に甘いことを志桐は幼い頃から見てきている。
心の底から不本意ではあるが、彼女が腕の一つでも引いて促せば、あの頑なゴリラも渋々というポーズを取りながらこの場に混じるに違いない。
 志桐たちが席を外すと同時に、今度は真国が起ちあがり、隣に座っている恋人に声をかけた。

「あー……お嬢さん。ちょっとばかしこの辺見て周りませんか? 朝からずっと場所取りに付き合ってもらってたから、座り飽きたでしょ?」

唐突な誘いに首をかしげる恋人の腕をグイっと引き上げ、てきぱきと靴を履かせていく。

「つーことで、すんません兄貴! 俺たち少しデートしてくるんで、先に始めててください!」

 半ば強引に連れ出そうとする姿は、散歩へ行きたくてウズウズしている犬を連想させたが、真国なりにカタギの彼女に気を回しての行動なのだろう。
スマートとは言い難い舎弟の振る舞いに苦笑を浮かべながら、河津は了承の返答代わりにスッと手を上げて送り出した。

「……綺麗だな」

 恋人の隣に座っていた大鳳夫人が姉妹の父の近くへと移動したので、開いたスペースに腰を下ろす。
いつもより酒が進みいい具合にほろ酔い加減の恋人は、河津の言葉を受けて改めて頭上の桜を見上げ、同意の言葉を返した。

「俺が言ってんのはお嬢の事だぞ。この桜も見事だが……それ以上に、華を見て喜ぶアンタは綺麗だ」

 不意に投げかけられた口説き文句を、彼女は世辞としてさらりと受け流した。
『この料理が美味しかった』と違う話を始めたながらも、その耳が仄かに赤く染まっているのを、河津は当然気づいている。
2人きりであればそんな彼女を抱き寄せているところだが、公認の仲とは言え、流石にこの場でそこまでは出来ない。
 少し残念に思いながら勧められた料理に箸をつけていると、末妹が大鳳組組長の腕を引き、仏頂面の志桐を従えてこちらに近づいてくるのが目に入った。
 本来であれば立ち上がって出迎えるべき相手だが、今日に限っては気付かない振りをするのが正解だろう。

 美味い飯、美味い酒、満開の桜と、幸せな恋人たち。今日ほど大団円に相応しい日はない――。